【後編】#わいやい の振り返り。

 私が合唱の現場でお仕事を頂くようになったのは大学2年生の時。当時は合唱といえば義務教育でやる範囲のことくらいしか知らず。所謂’合唱界隈’(あんまりこの言い方好きじゃないですが、あえて)のことは今の無知さと比べてもあまりにも、だったので、片っ端から合唱の演奏会に行ってはそのプログラムに挟まっていたチラシの演奏会に行って…を繰り返していました。「よく分からないけど、そのよく分からない対象が生きている現場にとにかく行こう」という猪突猛進さ。今もそのフッ軽さは健在なのですが、あの頃はまあやや異常だったかも。そのお陰で今がある訳ですが。

 高校の音楽科、音大と進学してきたので、今活躍しているプロの音楽家は当然そういう専門機関で勉強した人たちだけだろうと思っていました。当時の自分の「プロ」の定義も恐ろしく曖昧ではあったのだけれど、東京に来て一番衝撃的だったのは、合唱活動というそれに関係するその人数とその人たちから感じる気迫、情熱、技術の高さ。芸劇で聴いた全日本の全国大会なんて、私はなんてところに来てしまったんだと軽い絶望すら覚えたものです。

 音大なんて行って馬鹿みたいと思った時期もあったくらい。今はそんな事は思っていませんけど!!

 あの特殊すぎる環境に身を置いて研鑽を積んだ者にしか分からない感覚とか、そういうものはある。

 私にとって舞台というのは「あって当たり前」のものでした。というか、舞台が無い生活がある可能性なんて考えたことがなかった。でも、そうじゃない。

 

 その「当たり前」を続けたい・広げたい。それがわいやいの始まりです。

 第1回は身内感の濃い発表会。みんなの「やってみたい」という思いや情熱が凝縮されていたけれど、正直ここまで熱量の高いものになるとは想像もしていなかった。チケットとかも特に無いし、お客さんよりも出演者ファーストな構成。家族が観にくるくらいで、「楽しかったね」で終わるかなと思ったらさすが私の周りの方々はエネルギーに溢れていて、「次これやりたい」という言葉がすでにこの日聞こえていたのを覚えているし、想定よりも本当にたくさんのお客様にご来場頂いた。幸せな驚きだった。

 第1回も第2回も「備品の破壊、お客さまを舞台へあげる行為は禁止」というルールしか設けず、ジャンルも何も問わず。仙川フィックスホールの規模感も相まって、漫才したり鍵盤ハーモニカ吹いたりと、確かに今見ると第1回は第2回より本物の(?)発表会感がすごい。

 継続して開催することはまあできたらいいなくらいに思っていた。けど私が思った以上に第1回わいやいが及ぼした人と人の繋がりや刺激というのは存在していたようで、第2回開催はむしろ周りに背中を押してもらったところが大きい。今見ても本当に顔ぶれの豪華なこと!

  第1回から濃く携わってくださっているのが、ブログ前編でも触れた根本真澄さん・中原勇希さん・町村彰さんそしてカメラマン鳥居美咲ちゃん。

 

 私としてはこれ以上の規模の開催は考えていないし、職業音楽家が演奏するのは最後の講師演奏だけでいいかなと思っている(私を除き)し、わいやいは「舞台を愛する仲間たちによる」「挑戦の場」であるのだということを、改めて自分に言い聞かせている。

 最後に。「舞台を愛する仲間たちによる舞台」の写真をご覧ください。第3回もどうぞお楽しみに!

 リハも本番も、カメラマン鳥居ちゃんが素敵な瞬間を切り取ってくれていました。ありがとう!

 30分超の講師演奏。ありがとうございました!

 一つ一つのステージの思い出を書いておきたいけれど、着地点を見失ってしまいしそうなので。笑

 本当に本当に、全てを大切に思っています。

 改めて、ありがとうございました。またお会いしましょう!

 

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