病気と音楽

こんなタイトルの本がありそう、と思って調べたら山ほど出てきた。

いつかどこかで発言した気がするけど、伝記なんかを読んでるとよくある「○○病によりピアニストの夢を断念」なんて一文であらわされる事は当然当人にとって大事件である。

過去の偉人が存在していないような感覚に陥るアレはよくあるけれど、それは存命の有名人著名人にも言える話。そして、あたかも自分か身近な他人かしかいないように錯覚する。

自分がその「一文であらわされる」出来事そのものの中にいたとしても気がつかない。明日の事も分からないのに、そんな先の未来が分かってたまるものか。

冗談めいて「病院重課金勢」なんて己を揶揄する時があるけれど、いろんな病気が治る確率が上がってきて、その分謎に抱かされる希望やら、その先の落胆が待っているというものだ。「ストレスです」なんて、分かってる。ストレスを感じずに生きられる人がいるんだろうか。いらいらするだとか、不快に思うとかに限らずの話で。まあ最早ストレスです原因不明ですと言ってもらった方が、ああ現代医学でもパッと分からないということは大した事がないんだなと諦めもつくような気がする。不自由を抱えていてもなんとか生きてはいられるし。他の人よりもしかしたら少し、生きづらいだけ。でもそれだって分からない。自分が何かを隠すように、誰かも何かを隠している。とある何かが平気なひともいれば、傷付く人もいる。傷の治りだって人による。

3回失恋しないと弾けない曲があるというのを本気で信じていた中学生の私よ、人の言う言葉を自分の思うその言葉と同じ定義にするんじゃない。

無理は輝かしくない。休まぬ事は美ではない。痛いことは救いではない。